音楽シーンのトレンドの変化とともに、音楽クリエイターの間で人気になる制作機材のトレンドも変化しています。
例えば、ダブステップやフューチャーベース、EDMが音楽シーンでトレンド化した2010年代では、強烈なワブルベースやリードを作るのに欠かせないNative Instrumentsの「Massive」やXfer Recordsのウェーブテーブルシンセ「SERUM」など、“これさえあれば何でもできる”ソフトシンセが人気を博しました。
これらのソフトシンセは、マルチな音作りに対応する汎用性の高さとソフト音源ならではの購入コストの低さや扱いやすさで人気でしたが、流行りの音楽ジャンルを簡単に再現できるYouTubeのチュートリアル動画の普及も、その人気を後押しする大きな要因となっていました。
しかし、オールドスクールなディスコやハウスなどにインスパイアされた音楽が人気になると同時に、元々それらの音楽が作られていた頃に多用されていたビンテージのハードシンセやリズムマシンに対する注目度が上昇。近年は音楽クリエイターの間でアナログ回帰志向が高まったこともあり、各種ビンテージ・ハードシンセの復刻モデルやモジュラーシンセの人気も高まっています。
ただ、そういった機材は購入コストが高くつくことから、特にアマチュアクリエイターにとっては購入のハードルが高いことも事実。また現在プロとして活躍する音楽クリエイターの中にも、メンテナンスやライブ時の機材の持ち運びの手間がかかることから、導入を敬遠する人は少なからずいます。そういった場合に求められるのが、購入コストが低く、かつ、メンテナンスや持ち運びの手間がかからない「ビンテージ機材をエミュレートした」ソフト音源です。
ソフトシンセの新たなトレンド“フィジカルモデリング”とは?
ビンテージのハードシンセをエミュレートしたソフトシンセは以前から少なからず存在していました。しかし、ハードシンセ特有のアナログな質感を高度に再現することはできず、どうしても音質に表れてしまう“デジタル臭さ”により、クリエイターの中でもその評価は分かれていたように思います。
ただ、最近はテクノロジーの進化により、多くの機材メーカーが取り扱うエミュレート版ソフトシンセの質は以前とは比べものにならないくらい向上。現在は、メーカー独自の「フィジカルモデリング」技術の導入により、限りなくオリジナルのハードシンセに近い質感の音を再現できるようになっています。
「フィジカルモデリング」とは、シンセサイザーの合成方式のひとつで演算処理により仮想的に音源を再現する合成方式のことを言います。代表的なものとして挙げられるのは、Rolandの「Analog Circuit Behavior(ACB)」やKorgの「コルグ電子回路モデリング・テクノロジー(Component Modeling Technology=CMT)」など。この方式を採用したシンセを「フィジカルモデリング音源/シンセ」「物理モデル/シンセ」「フィジカルモデリング音源/シンセ」などと呼びます。
これらの技術を用いたシンセの“質感”の再現性の向上については、日本のドラムンベースシーンのパイオニアであるMakoto氏や、プラグインの総合代理店サイト「Plugin Boutique」のジョシュア・キャスパー氏ら、音楽制作やプラグインのプロも認めるところ。
ちなみに筆者が個人的に印象的だったのは、数年前に世界的にクラブシーンで流行したアナログな質感とオールドスクールな90s回帰的スタイルで人気を博したローファイハウスの中心的プロデューサーであるDJ Boringが、海外音楽メディア・FACTの音楽制作企画でJupiter 8、Juno-106、TR-808といったRolandのビンテージ・ハードシンセ/リズムマシンのエミュレート版ソフトシンセを使用していたことです。てっきり、ビンテージ・ハードシンセ、もしくは復刻版のハード機材を使って制作していると思っていただけにそのことに意外性を感じましたが、デジタルで高度に再現された最近のビンテージ系ソフトシンセ需要の高まりを感じる出来事でもありました。
ちなみに筆者が個人的に印象的だったのは、数年前に世界的にクラブシーンで流行したアナログな質感とオールドスクールな90s回帰的スタイルで人気を博したローファイハウスの中心的プロデューサーであるDJ Boringが、海外音楽メディア・FACTの音楽制作企画でJupiter 8、Juno-106、TR-808といったRolandのビンテージ・ハードシンセ/リズムマシンのエミュレート版ソフトシンセを使用していたことです。てっきり、ビンテージ・ハードシンセ、もしくは復刻版のハード機材を使って制作していると思っていただけにそのことに意外性を感じましたが、デジタルで高度に再現された最近のビンテージ系ソフトシンセ需要の高まりを感じる出来事でもありました。
なおエミュレート版シンセの中には、MIDI機能が使えたり、モノフォニックシンセがポリフォニックシンセ化するなど、実機にはない追加機能があるものや、実機と連動して使えるものも存在します。こういった使い勝手良く改良されている点も、エミュレート版シンセを使用するクリエイターにとっての大きなメリットだと言えるでしょう。
フィジカルモデリング方式を採用したソフトシンセ/プラグインのバンドル
では、フィジカルモデリング方式を採用してエミュレートされたビンテージ系ソフトシンセ/プラグインの代表的なバンドルをいくつか紹介したいと思います。
Roland 「Roland Cloud」
Roland Cloudは、Rolandが提供する高品位なプラグイン音源やソフトウェアを提供するクラウド・ベースのプラットフォーム。現代の音楽制作やライブ演奏に最適化したソフトウェア/コンテンツを提供しており、約50年にわたるシンセサイザーの研究開発で培った、独自のモデリング技術やノウハウによって、歴史的な電子楽器として評価の高い「JUPITER-8」や「JUNO-106」「TR-808」といった歴代のRolandシンセサイザーや人気リズムマシンの数々を網羅する「Legendaryシリーズ」や、最新の音源システム「ZEN-Coreシンセシス・システム」の高品位なサウンドを音楽制作に活用できる「ZENOLOGYシリーズ」、アコースティック楽器の表情豊かな音色を再現する「Teraシリーズ」など、現在50以上のタイトルをラインナップしています。
Roland Cloudで採用されているRoland独自のフィジカルモデリング技術「Analog Circuit Behavior(ACB)」は、オリジナルのシンセサイザーが持つパーツ類(コンデンサーやICチップなど)ひとつひとつをデジタル・モデリング技術で再現し、オリジナルがもつ回路通りにデジタル上で組み合わせるほか、実機に施された“細かいチューニングや調整”をもモデリングするというもの。これによりオリジナル実機が持つハードウェア固有の「振る舞い」までをデジタル領域で精密に再現しています。
KORG 「KORG Collection3」
KORG Collection3は、2021年にリリースされたKORGのシンセサイザーの名機を忠実にソフトウェア化したDAW用プラグイン・バンドルの最新バージョン。KORG Collectionは、2004年に発売されたKorgが誇る名機をソフトウェアで完全再現する「KORG Legacy Collection」に端を発し、 2017年にARP社の「ARP ODYSSEY」を追加してKORG Collectionへリニューアルされました。現在のKORG Collection3では、ソフトシンセとして再現された同社が初めて量産したアナログシンセの改良モデル 「miniKORG 700S」のほか、「Prophecy」「TRITON Extreme」が追加されるなど、70年代〜00年代までの時代を象徴するKorgサウンドを網羅したソフトシンセコレクションになっています。
またKORG Collection3に含まれている各ソフトシンセは、Korg独自の「電子回路モデリング・テクノロジー(CMT)」によって、アナログ独特の有機性や意外性を含むフィーリングを実現。太く粘りのあるサウンドの「MS-20」などのKorgの有名オリジナル実機をソフトシンセとして完全再現するだけでなく、オリジナルではありえないモノ・シンセのポリフォニック化はもちろん、バーチャル・パッチの対応や高品質なエフェクトを搭載するなど、音楽制作に必要な様々な改良が施されています。
Arturia「V Collection 9」
Arturiaのソフトシンセバンドルの「V Collection 9」は、厳選されたクラシックなキーボードエミュレーションから最先端のシンセエンジン、フィジカルモデリングされたピアノから刺激的なハイブリッド弦楽器まで、32種類のインストゥルメントを収録。「V Collection 9」に収録されているソフトシンセは、Arturia独自のTrue Analog Emulation (TAE) 技術とクラス最高のフィジカル・モデリングを使用してオリジナル実機の動作を忠実に再現。これまでになく完全で汎用性の高いヴィンテージ・キーボード・ソリューションを実現しています。
また各インストゥルメントをさらに一歩進化させ、モノフォニック・シンセサイザーをポリフォニック化したり、アルペジエーター、オシレーター、LFO、フィルターを組み込んだりするなど、画期的な新機能を追加。また2022年にリリースされた「V Collection 9」には新たに「Korg MS-20V」「SQ80 V」が追加されたほか、2つの楽器が一体となったハイブリッド楽器を次世代モデリングでゼロから作り直した「Prophet-5 V & Prophet-VS V」、DSPモデリング、高度なモジュレーション、音声分散、現代的なアドバンスドパネルなど、まったく新しいサウンドエンジンを搭載した「CS-80 V rebuild」なども収録されています。
IK Mutimedia「Syntronik 2」
IK Mutimediaの「Syntronik 2」は、膨大なビンテージシンセをコレクションしたバーチャル・インストゥルメント「Syntronik」の進化版。先進のサンプリング技術とIK Mutimediaならではのモデリング技術に基づくサウンドエンジンを組み合わせたハイブリッドタイプのバーチャル・インストゥルメントのバンドルです。「Syntronik 2」では、最大5500種類以上のプリセットが利用でき、誰もが知っている代表的な機種だけでなく、中古市場でも手に入れることが困難な超レアな機種まで合計54機種を網羅し、幅広いサウンドを提供します。
Syntronik 2では、Moog、Oberheim、Sequential Circuits、ARP、Roland、Yamahaなどのビンテージ・シンセのサウンドを正確に再現するために、それぞれの機種のオシレーターを丁寧かつ注意深くサンプリング。オシレーター・シンク、FMモジュレーションなどのバリエーションだけでなく、同音連打時も自然なサウンドとして響くよう、ラウンド・ロビン用のサンプルが丁寧に収録されています。またIK Multimediaが独自開発したアナログ回路のふるまいを再現するDRIFT技術により、ソフトシンセであっても発音される度にフェイズ、音色、ピッチなどが揺れる、有機的でアナログ機材感あふれるオシレータ部が再現されています。
ソフトでも再現可能? ビンテージシンセの音色が印象的な名曲たち
最後に上記のバンドルにエミュレート版として収録されているビンテージシンセの音色が印象的な名曲を、いくつかご紹介したいと思います。
Michael Jackson「Billie Jean」 / Yamaha CS-80
Michael Jackson「Billie Jean」のイントロの象徴的な弦楽器のようなコードは、Yamaha CS-80によるもの。リバーブをかけて加工したサウンドが印象的です。Yamaha CS-80のサウンドは、V Collection 9、Syntronik 2に収録されています。
Kate Bush「Running Up That Hill」 / Fairlight CMI
今年Netflixドラマ『ストレンジャー・シングス』シーズン4の劇中曲として、リバイバルヒットしたKate Bushのヒット曲「Running Up That Hill」。そのメインリフは、Fairlight CMIに含まれるチェロのサンプルのひとつを使い、それをKate Bushが様々に操作して作られています。Fairlight CMIのサウンドは、V Collection 9に収録されています。
Human League「Don’t You Want Me」 / Roland Jupiter-4
Rolandのアナログ・ポリシンセの歴史の原点であるJupiter-4。その暖かく太いサウンドは、Human League「Don’t You Want Me」の重厚なシンセリフに使われるなど、シンセポップやニューウェーブの発展に多大な影響を与えました。 Jupiter-4のサウンドは、Roland Cloudに収録されています。
Donna Summer「I Feel Love」 / Moog Modular System IIIP
2022年夏に最も話題になったアルバムといえば、Beyoncéの7thアルバム『Renaissance』。同アルバムには1977年のディスコクラシックであるDonna Summer「I Feel Love」をサンプリングした「Summer Renaissance」も収録されていますが、「I Feel Love」のベースやスネア、ハイハットはMoog Modular System IIIPで制作されたと言われています。Moog Modular System IIIPのサウンドは、V Collection 9に収録されています。
ちなみにオンラインマーケットプレイスのReverbでは、今回ご紹介したV Collection 9とRoland Cloud収録のソフトシンセで「I Feel Love」を再現したデモ音源を公開しています。
The Synth Sounds Of Donna Summer’s “I Feel Love”
https://reverb.com/news/the-synth-sounds-of-donna-summers-i-feel-love
Robin S「Show Me Love」 / Korg M1
同じくBeyoncéの『Renaissance』収録曲で、2022年の音楽シーンにハウスの復権を強く印象付けた「Break My Soul」のサンプリングネタRobin S「Show Me Love」では、Korg M1のプリセット「Organ2」によるオルガン・ベースラインが象徴的な1曲になっています。Korg M1のサウンドは、KORG Collection3に収録されています。
気になった曲があればぜひ、ご自身でフィジカルモデリング・ソフトシンセを使って再現してみてはいかがでしょうか?
文:Jun Fukunaga
【参考サイト】
Roland – About Roland Cloud
https://www.roland.com/jp/promos/about_roland_cloud/
What is Analog Circuit Behavior (ACB)? – Roland U.S. Blog
https://www.rolandus.com/blog/2014/02/14/analog-circuit-behavior-acb/
KORG Collection 3 for Mac/Win – SOFTWARE INSTRUMENTS | KORG (Japan)
https://www.korg.com/jp/products/software/korg_collection/
Arturia – V-Collection – V Collection 9
https://www.arturia.com/products/software-instruments/v-collection/overview
Syntronik 2
https://www.ikmultimedia.com/products/syntronik2/index.php?p=info
The 40 greatest synth sounds of all time – ranked! | MusicRadar
https://www.musicradar.com/news/greatest-synth-sounds
フィジカルモデリング:Physical Modelingとは | 偏ったDTM用語辞典
https://www.g200kg.com/jp/docs/dic/physicalmodeling.html
*オリジナル掲載先のSoundmainサービス終了により本サイトに移管(オリジナル公開日は2022.09.09)