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1人の『テラスハウス』ファンが今、思うこと

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はじめに。

普段、このWebzineでは主に自分が気になった音楽について、アレコレと思うことを書いている。そのため今回のテーマは本来の趣旨とは外れていることは重々承知している。しかし、これまでに何度か記事の前口上として、自分が好きな”リアリティショー”として『テラスハウス』をネタにしてきたこともあり、先日の木村花さんの訃報を受け、同番組に関する思うことを書き残していきたいと思い、筆をとっている。

出演者で現役住人メンバーだった木村花さんの訃報については心が痛むと同時に正直、複雑な思いを抱えている。彼女が亡くなった原因についてはネットの誹謗中傷だという憶測が飛び交っており、今はそれを巡って様々な意見と批判が発信されている。またそれらは現在、番組の制作陣やスタジオ出演者にも波及しているような状況だ。

そういった状況を踏まえ、今回の悲劇的な出来事について、あくまでファン目線からテラスハウスの問題点について考えてみたい。

暗に踏み絵化していた“何者かになるため”の炎上

この問題について、まず考えたいのが現在の『テラスハウス』という番組の性質だ。

同番組はリアリティショーとしてもう長い間人気コンテンツになっている。それだけにこれまでにも数々の炎上騒ぎが起きており、その原因となる”事件”と呼ばれる住民間のトラブルは視聴者の間でコントラバーシャルなものとして注目を集め、話題を呼んできた。

事件が話題になることは批判を集めるため、一見すると住人には何のメリットもないように思えるが、その代償として露出は増える。つまりその住人は番組内で何らかの爪痕を残すことに繋がるわけだ。

ではなぜ爪痕を残す必要があるのだろうか? それは先人たちによる目立つことでその後のキャリアが開かれるという前例があるからに他ならない。大体にして住人たちは無名の若手芸能人、もしくはその志望者だ。そのような住人たちにとって”テラハの住人”になることはその後の”キャリアアップ”のための切符を手にいれたと言っても過言ではない。そのため、どうしても爪痕を残したい住人にとっては”事件”は爪痕を残すための千載一遇のチャンスとなる。

またその多くは往々にして住人の行動なり発言が何らかの悪目立ちすることがきっかけで生まれてきた。そのためどこかで悪目立ちによる炎上は甘んじて受けいれる必要があるという暗黙の了解みたいなものが雰囲気として出来上がっていたのではないだろうか? 実際に長年の視聴者からしても、かつては視聴者だった住人にしても、先人たちの例からそういった炎上騒ぎは結果的に”キャリアアップのための種まき”になっていたことは理解済みだったことだろう。

現在配信中の東京編は、そのキャリアアップ要素がこれまで以上に際立っているシーズンであり、「何者でもない若者が何者かになろう」とする要素が強い。そのため出演者の中には番組内での見えた方を気にした行動する人物が度々指摘されており、そのメリット、デメリットを意識的にコントロールしようとする面が少なからず見られたのも事実であり、番組が住人にとって自分という人間をプレゼンするためのショーケースになっている部分は少なからずあったことは間違いないだろう。

一方で入居時点である程度のキャリアがある人物は”炎上はなるだけ避けて慎重に”という姿勢が感じられたものの、やはり「見せ場を作るには事件を起こす」という構図が変わることがなかったのもまた事実である。またそういった性質故に”炎上上等、批判は甘んじて受け入れる”というスタンスが野心を持つ人物ほど暗に求められていたことが考えられる。

もちろん、テラスハウス自体がいわゆる炎上マーケティングを積極的に行なっていたわけではないが、事件は話題を呼ぶ。そして、炎上が話題化し注目を集める今の世の中においては、否定的なものであったにせよ、SNSに寄せられる声は番組と住人への興味に直結する。そのため住人にはそれに耐え抜くためのストレス耐性が必要不可欠であり、仮にそれがない場合も耐性があるというていで、”本来の自分のメンタル”という踏み絵を踏まなければならない状態だったのではないだろうか?

そういった踏み絵によって事実は隠されたものの、傍目には野心の部分のみがどこか透けて見えていたような状態だったからこそ、住人はキャリアアップしたいのであれば”批判は受けいれるべき”という構図が成り立ち、それが問題を起こす住人は誹謗中傷が許されるという歪んだ解釈につながっていたことが考えられる。その意味では番組で悪目立ちする住人は綱渡り状態であり、いつ悲劇的なことが起こっても不思議ではなかったのかもしれない。

「何者でもない若者が何者かになる」ための通過儀礼として、SNS炎上が結びつき、それが住人たちの踏み絵になっていたことは今回の問題のひとつだろう。

特にテラスハウス入居の理由のひとつとして"マイナーな女子プロレスの知名度向上"を挙げていた木村さん。その業界では次代を担うスター候補として知られていたが、世間的にはまだ何者でもなく、番組出演を通して”何者かになろうとする若者”だったことを考えると心苦しい。

山里氏のツッコミの功罪

このような性質を抱えていたテラスハウスだが、番組内で起こる様々な”事件”を盛り上げる役を担っていたのが、スタジオメンバーの山里氏のツッコミだ。彼の芸風である鋭い人間観察による視聴者がなんとなく思っていたことを的確に言語化して伝える能力はさすがの売れっ子芸人ならではあり、テラスハウスの醍醐味のひとつだと認識している番組ファンは多かったにちがいない。しかし、この芸風についても最近は行き過ぎていたという声が今回の訃報後には散見された。

そのことに関しては彼のツッコミが番組の人気を下支えしていることもあり、ファンの多くは言いようのないばつの悪さを感じたことだろう。もちろん筆者もその口だ。しかし、今、このコントラバーシャルな部分が番組を批判するためのかっこうの材料になっていることを考えるとファンとしては複雑な心境だ。

住人による”事件”と山里氏のツッコミは密接な関係にあり、このマッチングによって番組の話題が生まれ、時には炎上し、住人と番組が注目を集めてきたのは事実だ。しかし、それが問題がある人物に関しては批評の枠を超えて、人格を完全に否定するほど誹謗中傷しても構わないという大義名分を与えたことは悲劇でしかない。特にこの2つの要素は番組の人気の肝の部分であったため、実際に誹謗中傷をしていなくても、それが原因で本人がストレスを抱えていたのであれば、少なからずそれを楽しんでいたファンにとってはやはりばつが悪い。

また現在は批判の潮目が変わる、というよりは派生して一部では山里氏を”キャンセル”するような意見も目立ち始めている。この流れに関してもひどく憂慮している。

個人的には”キャンセル”する対象のことをよく知りもせず、自分が気持ちいいだけの正義を大義名分にそれを大ぴらに行う「キャンセルカルチャー」なるものは苦手である。テラスハウスに関して山里氏は”SNSでの安易な攻撃はしないで、一緒にこのハウスを肯定的に捉え続けるっていう目線で楽しんでほしい気持ちもあります”と以前、インタビューで語っている(但し、このインタビューの他の部分に関しては受け取り方によっては否定的な意見が寄せられる要素が少なからずあることは否めない…)。

もちろん、だからと言って絶対的に擁護するべきというわけではないが、キャンセルするのであれば、少なくともその対象のことをよく知った上でそうするべきではないだろうか? そして、安易にキャンセルすることで別の問題、悲劇が起こる可能性にも注意を払ってほしい。その上でどうしてもキャンセルするというのであれば、誹謗中傷でなく誰もが納得する正当な理由の下にそうするべきではないだろうか?

コスチューム事件とその後の顛末が公開されたタイミング

誹謗中傷を加速させたのは、東京編38話で起きた「コスチューム事件」とその顛末に触れた41話の未公開映像だろう。38話が配信されたのは新型コロナ禍の不安が徐々に世の中に浸透しだした今年3月末であり、未曾有の出来事に対して世間が平衡感覚を失いつつあったタイミングだった。

新型コロナ禍によるストレスを抱えた状態は批判や誹謗中傷を起こしやすく、多くの人が現実の憂さ晴らしのために”燃やす薪”を探しているような状態であり、「コスチューム事件」はそのかっこうの餌食になったことは間違いない。しかし、それ以上にまずかったのは41話の未公開映像として公開された「コスチューム事件のその後」に触れたものだ。

通常テラスハウスの未公開映像はNetflixの配信更新が行われる火曜日の午後に公開されることが定例化しているが、41話に関しては本編が一時中断を経ての復活配信だったこともあってか、普段より数日遅れて公開された。

その公開の遅れはさして問題ではないが、内容が内容だっただけに番組側もタイミングを見合わせたのだろうか? 普段から未公開像もチェックしている身としてはなかなか公開されないこの回の未公開映像には少しやきもきした気持ちがあったことは事実だ。あくまで予想に過ぎないが運営側もその内容から公開を見合わせたていたのかもしれないし、通常どおり公開されないことに対するファンからの突き上げがあったのかもしれない。

しかし、公開された未公開映像を観た側からすると一旦は39話の時点で落ち着いたはずの「コスチューム事件」を蒸し返すような内容だったことに対して、言いようのない気持ちになったことも事実だ。

未公開映像の内容は最終的には事件を起こしたことを反省をするというものであり、一概に批判の対象とするものではなかったが、おそらく事件を”蒸し返しされた”ことで、誹謗中傷のスイッチが改めて入ったことは間違いない。特に公開されたタイミングはコロナ対策や政権周りの出来事を巡り、国民の不満が高まっていた時期だったこともあり、誹謗中傷が憂さ晴らし的に行われたことは想像に難くない。

番組側の住人に対する配慮

“事件”にしても山里氏のツッコミにしても未公開映像公開にしても、番組側の対応によってはそれをきっかけに避けられたことだと思われるが、この3つの問題は性質的には似て非なるものでもあり、事件とツッコミ、未公開映像公開の2つに区分できると筆者は考える。

まず前者に関しては先述のとおり、少なからず番組の人気に関わる部分であり、そのことを考えると後者に比べて番組側の手入れが難しい部分なのかもしれない。ただ、実際に人間一人が落命していることを考えるとそのまま放置という形で捨て置くことはできないだろう。それだけに番組側としては”ここまではやる、見せる代わりに定められた線を踏み越えた場合は厳罰も辞さない”という姿勢を視聴者に示す必要があったのではないだろうか? その”線”とは具体的にいうと誹謗中傷に対する法的措置に他ならない。

これはあくまでファン目線によるある種の希望であり、賛否両論があることは理解した上での意見だが、番組の肝である部分が綱渡り的なバランスの上に成り立っていたのであれば、番組側は、それを見せる代わりに少なくとも住人に対する苛烈な誹謗中傷に対しては毅然と立ち向かう姿勢は示して然るべきであり、その線引きは明確にしておくべきだったと考える。

こういうとご都合主義だと思われる部分はあるが、ごく普通に”バラエティ”として番組を楽しんでいた人間にとっては自分が楽しんでいた部分が完全に悪とされることにはやはり少なからず抵抗がある(それ故にバツが悪いのだが…)。なぜなら大多数の視聴者は、わざわざ捨てアカを複数作ってまで住人に粘着して人格否定を連日に繰り返すわけでないのだから。しかし、そのことに免罪符になってほしいわけではないこともご理解いただきたいし、好きなものが守られるという大義名分があれば全てが許されるいう考えも毛頭ない。

番組のあり方に関してはすでに様々な意見が飛び交っていることは承知しているが、ことが起こってしまったからには全て後の祭りであり、どうしても結果論になってしまう部分はあると思う。亡くなった人間が蘇ることはもちろんないし、この出来事をきっかけに番組が終了の危機に直面していることは、もはや紛うことなき事実なのだ。

海外でもリアリティーショーに出演後、ネットいじめが原因で落命した人は多い。

metro.co.uk

それだけに番組側がその事実を踏まえた上で住人たちのメンタルケアなり、誹謗中傷に対する法的措置を行わなかったことは確かに残念なことであり、落ち度である(もしかしたら水面下で素人が知り得ないところでなんらかの対策が取られていたのかもしれないが、少なくとも我々の目に見える形でなかったことは確かだ。以前から確認できる部分では、YouTube公式動画のコメント機能のオフ程度くらいか)。

”自分にとって気持ちが良いだけの正義"かどうか、"ただの誹謗中傷"かどうか

誰もが何の気なしにSNSで誰かを悪意を持って誹謗中傷する可能性があるとは言わないが、何らかの事象に対して批判的な批評、もしくは批判のために批判することはもちろんあり得ることで、それが何かのタイミングで正当性のないいき過ぎた誹謗中傷化する可能性もある。その事実を踏まえた上で、SNSに限らず何らかの発信を行う際は自分の正義感が”自分にとって気持ちが良いだけの正義”かどうか、そしてそれがいき過ぎた"ただの誹謗中傷"かどうかは常に考えていく必要があるはずだ。

繰り返しになるが本稿の内容を含めて今、盛んに発信されているこの問題に関する意見は全て後の祭的な結果論でしかない。しかし、今回のことでリアリティショーを作る側が向き合うべき問題点が改めて浮き彫りになったことと同様に観る側の発信に関しても問題点が浮き彫りになったことは事実として皆が厳粛に受け止めなければならない。

実を言うと筆者は好きが高じて商業Webメディアにこれまで何度かテラスハウスに関するコラムを寄稿している。そのため、それがもしかしたら知らず知らずのうちに例のツッコミ的に作用していた可能性を考えるとより複雑な心境になる。

このような凄惨な出来事も後数日もすれば、人々の話題ではなくなるかもしれない。そして将来、また似たようなことが起きた場合、”教訓”として某ドラマが引き合いに出されておしまいされるだけかもしれない。そんな未来は絶対に避けるべきだ。

今回の出来事をリアリティショー、SNSのあり方の分水嶺として捉え、今後の正しいあり方について考えを深めていく必要があるだろう。

最後に。

謹んで木村花さんのご冥福をお祈りいたします。