テラハからしょうへいが去ってしまいました…。あのポスト平成な生き方をしている若人が…。
正直、最初のほうのエピソードではあの「相変わらずぼんやりしてんだね」、「おめえ、貧乏なだけで器用じゃねーけどな」という名言がぴったりな人柄なんだなぁと思っていたのですが、先月、渋谷で行われたソーシャル系イベントで様々な分野の識者の方々による講義を聞いていると、自分の見方は、今の価値観からのズレがあるんじゃないのか? とちょっと思うこともあって。
それ以来、見方を変えており、今後の彼のポスト平成な生き方を見守りたいなぁなんて思っていた矢先の出来事でとにかくショック…。
To all resistance who fighting for freedom
で、価値観の話でいうと今年は遅れてやってきた夏の暑さのせいか、「スパイク・リー監督作『ドゥ・ザ・ライト・シング』かよ」と言いたくなるくらい、みんながみんな起こった出来事に対して、それぞれの正義を主張し、ネット上が地獄レベルに燃え上がっていたと思います。
香港デモ、あいトリ、韓国問題、Kimono、参院選、消費税増税… そのほかにも色々あったかと思いますが、全てが1番人がカッとなりやすいところでやってきたなぁという風に個人的には思います。
Brexit(ブレグジット)とかもそうですが、今、世の中では左右のポピュリズムが高揚しまくり、社会的な分断が様々な分野で起こっています。
例えばイギリスでは政治家のジェレミー・コービンは左派ポピュリズムの象徴でいきなり政局のキーマンになった政治家ですし、その向こう側にはBrexitの元凶と言われる保守政治家のボリス・ジョンソンが台頭して、ついに首相にまで登りつめるという。左と右の政治バトルが極まった状態になっているわけです。
ちなみにボリス・ジョンソンはイギリスのミュージシャンたちからの支持はほぼゼロ。Stormzy(ストームジー)、Slowthai(スロウタイ)らからは、がっつりディスられています。
ここ日本でも日韓問題による政治的な緊張、増税問題やらで右と左の対決は激しい今日この頃。ただ、自分としては正直にいうとどっちのポピュリズム高揚に対してもそんなに良い感情は抱いていないというのが本音です。
なので、逃げ腰と呼ばれようとも私は中道でいたい。政治的なスタンスでいうと”戦争は反対”。でも”消費税撤廃”も疑問符がつくといえばいいんでしょうかね。
例えば消費税増税も様々な見方ができるし、意見もある
今月から増税で庶民の生活は以前と比べて苦しくなるという意見があります。確かにそりゃそうだ。消費税上がっているんだから。でも、生活に密接に関わりがある食品は軽減税率が適用されているので8%のまま据え置きなのはありがたいといえばありがたいです。
確かに制度的にイートインと持ち帰りでは税率が違うとかややこしい部分や、業者側の設備投資などわずらしい部分はあるものの、一気に北欧並みになっているわけではありません。
個人的には消費税増税は嫌だなとは思いますが、増税に目の色を変えるくらいの怒りをあらわにする前に知っておきたいのがこちらの記事で触れられている社会保障費の爆増という問題。
ざっくり説明するとここ何十年で企業、個人が負担する社会保障費(厚生年金とか)の割合は上昇の一途を辿っており、例えば年収300万円のサラリーマンは年間およそ43万円も所得から税金として持って行かれているという話は、大概の人がなんらかのサラリーマンだという世の中ではかなり萎える話だと私は思うのですよ。
つまり、現役世代はそういう面でも負担が大きいわけです。で、この記事曰く、消費税は最も平等に税金を集める手段のひとつだというわけです。なぜなら自分が使った分に対してかかる税金だからです。
例えば年収300万円の人が5000万円のマンションを購入しようとします。でも現実には相当の頭金がないと支払い能力と見合わないためローンの審査を通ることはありません。ただ、それなりの収入がある人なら購入可です。そうしたら消費税10%の場合、5000万円なら500万円の税収があるわけですよ。
だから、富裕層の人ほどお金を使う機会はやっぱりあって、それに応じた分の税金が引かれるということになります。富裕層から税金をとれという訴えはよく耳にしますが、実際、このシステムってまさにそれじゃないですかね? (細かい税率は一旦抜きにして)
次の世代にマシな社会を残したいと思えるかどうか
あとよくお金がないから結婚できない、子供が育てられないという話も聞きます。確かにその意見には一理ある。でも、そのお金がないに直結してくるのが、先述の社会保障費だとしたら…。
結局、今の日本に必要なのは少子高齢化対策で、それに対して何が有効かを見極めていくことも大切だと思うのです。マジな話、厚生労働省の2025年問題に関するレポートはディストピアでしかないですよ。
なので、これまでの男性が外で働いて女性が家を守る的な価値観も見直して、二馬力で働く、子育てするというのがスタンダード化して行く必要もある。そんな風にして世帯収入を増やして消費による税収を上げていく必要もあるみたいな考え方もできるわけです。
だから消費税が2%上昇したという目先の現実に怒り狂い、未来を考えることをおろそかにするのはいかがなものか? と私なんかは思ってしまいます。
ここで重要なのは、おそらくそれぞれが少なくともこれまで自分が暮らしてきたレベル、今後予想されるディストピアな日本よりマシな社会を次の世代に残したいと思うかどうかなんだと思います。そこがリアルにイメージできる人は、社会的に良くなろうという今の新しい価値観に対してもオープンになれるのではないかと思うんですね。
フェミニズムとか、LGBTQ蔑視、外見でこの人は"カルチャー"な人かどうかを判断してはいけないとかそういうことって、今ほど自分たちの世代だと子供時代には教えられてきていないと思うし、実際問題よくわからないという人も多いのではないでしょうか?
ほかにも今は”ボディポジティヴ”とかもあります。こういったことは例えば、海外の最先端事情に知見がある人や問題の当事者だったり、または問題意識が高い人であれば社会が容認するべき考えとして理解があるかと思います。
しかしながら、自分が学生の頃は"アメリカでは肥満は自己管理できてない証拠"とか、そういう考え方もあると教えられたし、就活時は結構みんな意識していたのではないかと。特に外資とか美容業界、航空サービス業界志望の方々は...(肥満とボディポジティヴを強引に結びつけるのは語弊がありますがここはわかりやすくするためにあえてそうします)
勉強して良い会社に入って、そこで出世してみたいなかつての価値観は今はもう崩壊状態。社会的な現状をみて、かつての大人たちから梯子を外されたと思う人だって少なからずいることでしょう。
ただ、未来を描くというと大げさですが、次の世代にマシな社会を残したいと思えるのなら、価値観の変容にもきっと柔軟に対応していけるのではないでしょうか?
これについては、あくまで社会活動家レベルにゴリゴリにポジティヴに、主体的にその新しい価値観を享受し、訴求していくのとは少し違い、いささか現実主義すぎるきらいがあるとは我ながら思います。でも、これまでそういったことに関心を持たなかった人が新しい価値観に向き合っていくためにはそういった動機みたいなものも必要だと思うんですよ。
グレタ・トゥーンベリさんによる国連スピーチの捉え方とかまさにそんな感じじゃないですかね。例えばオゾン層破壊が進んでいるっていうのは少なくとも自分が小学生の頃の時ですら授業で習っていることで、環境破壊、気候変動はもう長い間、周知の事実なわけで。
Right here, right now... 🌍 @GretaThunberg #Repost @TheKiffness pic.twitter.com/vAmD3NTHBt
— Fatboy Slim (@FatboySlim) September 25, 2019
でも自分が生きているあと何十年かなら逃げ切れるという考えと、孫の代まで人間がSFチックな何かを装備しなくても普通に外を歩ける世の中を残してあげたいと考える人では捉え方は変わってきませんかね?
前者ならもしかしたらあの態度は厨二だと捉えるかもしれないし、後者なら多少過激だけどまあそうよねと理解を示すかもしれません。このあたりって自分にとっての、そして自分以外の誰かにとっての”未来”をどうイメージするか、できるかの差でだいぶ変わってくる部分ではないかと。
”ダイバーシティ”の時代だというわりに不寛容さが目立つ
今、社会は”ダイバーシティ”の時代だという割に不寛容さも目立つと思います。"多様化していく価値観や社会"と並行するように様々な”不寛容”も広がっているように思えてなりません。
時代の中で当然、これは社会的に正しいという観念はあります。それがポリコレなんですが、そのポリコレの解釈すら多様化していて、木を見て森を見ずみたいなことも往往にして起こっているのが今の世の中だと思います。
人間、生きていればネットニュースの一部の切り取りに感情トリガーを引かれ、剥き出しの怒りを露わにしてしまう。そんなこともあるでしょう。あいトリにしてもアーティストと言われる人たちと別段アートに関心がなく、日本に思入れが強い系の市民とでは意見が違ってくるのは当たり前。そして、そこに自分たちの税金使うなという意見が出てくるのもある意味自然な流れかと思います。
政治家やそれ準じる立場にいる人たちを風刺したり非難するのが容認されなければとんでもない世の中だと思いますが。 https://t.co/ds0aOUHEDG
— Kan Kimura (@kankimura) October 8, 2019
今の時代は、以前と違い”情報発信”もテクノロジーによって”民主化”されています。140文字程度で怒りや批判、煽動目的の嘘までを世界に拡散することは、スマホさえあれば誰でもできるのです。そんな時代だからこそ、何が"正しい"のかについては、自分、そして社会にとっての2方向で考えていく必要があると思います。
ただ、その"正しさ"なるものは個人の信条であったり、現行の社会観念によるところも大きいかと思います。だから大切なのは何か問題があったとしたらそれについてまずは色々と知ることでしょうね。
そして、できるだけ様々な意見に耳を傾けてみるべきです。その中で自分の信条と近いオピニオンリーダーを何人か見つけて、さらに深く考える必要があると思います(これについては手前味噌ながら私が担当させて頂いた某メディアでの水野佑弁護士のインタビューが参考になるかと)。
あと最近だと社会的に向き合うべき問題に対して、かつてのようにシニカルになるのは忌避されるべきと考えられています。でもこのアンチシニカル機運が高まる中でだって、確かに目も当てられない、冷笑しなくてはやってられないと考えたくなることはもちろん私にだってあります。
でももし、そういう態度を示すのなら問題の本質や本筋からズレたところでごちゃごちゃしている騒ぎみたいなそんな感じの何かに対してなら、冷ややかな視線を送りつつ皮肉ってみても良いのではないでしょうか? 価値観が変容していくからこそ、このシニカルというスタンスもアップデートして、現実に起きた問題に対して、有効に作用するようにしていくべきだと私は思います。
香港デモだって知見がない人にとっては、なぜ人が”#香港加油”とつけてツイートしているのかなんて知る由もないでしょう。その場合は、まずはオリラジあっちゃんのYouTube大学を視聴することをオススメします。しくじり先生で確立した講師芸の真骨頂が発揮されているので問題を知るための初心者入門として最適です。(ソースは池上彰の著書が多いのが特徴)
閑話休題。
民主主義国家、社会における自由の在り方について考えるきっかけ作りになる曲
タイトルのCRZKNYの新曲「HONGKONG」は、民主主義国家、社会における自由の在り方について考えるきっかけ作りになる曲だと思っています。様々な意見を議論しあえるのも思想の自由があればこそ。多様化という大きな流れが今、社会にあって、価値観の変容は確かに起きています。そこで大筋の現行の正しさみたいなものはある程度は定まってきています。
ただそれも繊細なものだと思うし、だからこそ色々な声に対して社会は寛容であってほしいし、それを受け入れるためのバッファみたいなものもあって然るべきだと思います。
今のポリコレ基準でいうと、理解がないことは確かに悪いことなのかもしれません。ただ、場合によっては梯子を外されたが故の立ち止まりみたいなこともあると思います。だからこそ、まずは色々な意見が発せられることに対して、社会は寛容であるべきで、そこから声を精査していくことも必要なのではないでしょうか?
そう考えているから、私自身は中道でいたいですし、CRZKNYの声もおよばずながら届けたいと思い、長々と書かせていただきました。
ちなみにこの曲を聴いてこんな風に考えた人もおられるようです。彦根ってことは滋賀県の彦根ですかね? いつかこの方とCRZKNYとテラハと平和堂について語り明かしてみたいものです。
あいちトリエンナーレの件とか、香港の事とか、今の政治について、僕には思うことを音楽で表現することも、リミックスも出来ないし、何か行動したり、言葉や文章に表そうと考えてみてもうまくいかないので、とりあえず箱を借りてケニーさんのHONGKONGをデカい音で鳴らすやつをやることにしました。
— ぶくぶく (@bookbookboof) October 9, 2019
この曲には「To all resistance who fighting for freedom(自由のために闘うすべての人々に)」というコメントが添えられています。あなたにとっての”自由とは何か?”を考えるきっかけになれば幸いです。
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