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クラブでのアンチハラスメントステイトメント表明について思うこと

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最近、クラブ内でおこったセクシャルハラスメント問題を受けて、「クラブでのアンチハラスメントステイトメント表明」に関する署名運動がオンライン署名サイトのchange.orgで開始されました。

この署名運動は、ナイトクラブ内で発生した、同意のない相手(性別問わず)に対するセクシャルハラスメント行為及び、そういった被害に関するクラブや運営側の対応含め、利用者が安全にクラブを楽しめるように「あらゆる性別や人種、セクシュアリティや身体的特徴に関わらず、全ての人が安全かつ尊重されるべき」というステイトメントをクラブ側がクラブ内や公式サイト、エントランスに提示することで、利用者にステイトメントの内容を周知し、問題の発生を抑止させるというものです。

このような昨今のポリティカルコレクトネスに沿ったルールは、もしかしたらクラブカルチャーの価値を”グレー”であることに見出しているような人にとっては窮屈に感じられるのかもしれません。

しかし、そもそもセクシャルハラスメント自体が、それを受けたと感じる側にとっては迷惑極まりない行為です。

クラブで”ナンパ”、”お持ち帰り”というと所謂チャラ箱のイメージがあるのかもしれませんが、実際にはそういった行為は音箱であろうと、その辺のバーであろうと起こること。思うにそういったチャラいと言われる行為自体は当事者たちの合意の上なら何も問題はないかと思います。でも、例えばクラブはそういったことも”込みの場所”という認識を理由に他人が容認できないセクシャルハラスメント行為を行うことはただの嫌がらせでしかありません。

 

近年は世界的なMe Tooムーブメントにより、女性が自らの権利を主張し、性差別撤廃を訴えることは以前よりもオープンになった印象を受けます。しかしながらそういった状況は確かにあるものの、まだ人によってはセクシャルハラスメントを受けていたとしても表立って訴えることができない人もいます。

何か問題が起こった時、「そういったところにいるのが悪い、嫌なら行くな」という自己責任論は、これまでもよく言われてきました。しかし、果たして全ての問題がそれで解決するのかということを一旦、落ち着いて考えてみたいです。

クラブにおけるセクシャルハラスメントは、ある特定の考え方の人に言わせると確かに”嫌なら行くな”で片付けられる問題なのかもしれません。でも、そもそも”音楽を楽しむこと”を目的にクラブに遊びに行ったにも関わらず、他人を肉体的にも精神的にも害していることに気づかない類の人間から受けたハラスメント行為までをも自己責任で片付けてしまってもよいのでしょうか?

少なくとも自分の中では、昔、クラブはどこか”浮世離れした色々な意味でスリリングな夜遊びの場であり、色々な人に出会うための場”だというイメージがありました。そして、今でもまだそのようなイメージを持っている人もいることかと思います。でもだからといって、ハラスメント行為が容認される、黙認されるというわけではありません。

 

確かにそういったイメージに憧れていたからこそ、クラブに通うようになった人にとっては、今回のようなステイトメントを掲げ、わざわざルールを設けてしまっては、他にはないある意味で自由な雰囲気を持つ場所であるクラブが窮屈極まりないと感じるという意見も理解できないわけではありません。(そもそも”大人の社交場であるクラブでダサい行為”はNGだし、そんなことも明文化されないとわからないのか? という意見もあることでしょう)

ただ、かつて良しとされていたとは言わないまでも黙認されていた暗黙の了解のようなものは、現在ではルール違反として捉えられているケースも多々あります。反論している人はそのことをまず理解するところから始めるべきなのではないでしょうか?

現在のポストインターネット時代は進歩的な考え方が日々海外から情報として流入し、若い世代を中心にSNSでシェアされることで共感を生み出していきます。そして、その共感の強さが新しい価値観を社会に根付かせる原動力になっているように思います。

そういった状況の中で、”グレー”が良しとされていたクラブカルチャーにおいても、海外ではポリティカルコレクトネスによる新しい価値観が広がり、男女格差の是正、人種差別、ミソジニストの排除などが声高に叫ばれています。

例えば、最近でも男性プロデューサーのVakulaによるThe Black Madonna、Nastia、Peggy Gou、Nina Kravizらを描いたEPのジャケットの内容が女性蔑視的だという批判にも注目が集まりました。だから、もし、海外のシーンに日本にはない価値を見出しているのならば、海外シーンにおけるこういった現在の動きにも理解を示すべきです。

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もちろんナイトライフを象徴するクラブにはある種のスリリングな要素はあるかとは思います。実際、違法行為に手に染めないまでも、そこでなら許されると錯覚できるような何かを求めて、夜な夜なクラブに繰り出す人もいることでしょう。しかしながら現代はそれよりも先述のステイトメントにある「あらゆる性別や人種、セクシュアリティや身体的特徴に関わらず、全ての人が安全かつ尊重されるべき」ということがクラブカルチャーの正しい在り方だと少なくとも海外では考えられています。

だから、以前の価値観のままでは今のクラブカルチャーを語ることは難しく、クラブに対するルールが窮屈だという人は、まず、そういったことを理解する必要があるのではないでしょうか?

そして、それは日本のクラブ運営側にも求められることだと思います。そういう意味で今回のステイトメントを運営側が表明することは、今の価値観に共感するクラバーたちに対し、求められる現代のクラブカルチャーのルールを遵守していることを明確に示すことにつながると思います。

ただ、クラブのハラスメントに関わらず、現代のポリティカルコレクトネスに関わる問題のほとんどはこの価値観の変化に対応できてないことが原因で生まれているように感じます。こういった問題の多くは、今では忌避されるべきと考えられているものですが、ひと昔前なら武勇伝的な扱いのものであったり、お笑い芸人の芸風やネタであったり、何の疑問もなくよしとされているものだったというケースもあります。それ故に未だにそういった新しい価値観になんとなくまだ馴染むことができず、どこかしら窮屈さを感じてしまうという人も少なからずいることでしょう。

 

しかし、だからといって、そういった古い価値観を持つ人を頭ごなしに否定することに意味はあるのか? ということも問いたいです。

個人的な意見ですが、新しい価値観に沿って発言している人の中には、一旦、その古い価値観を冷静に見つめた上で、なぜそれが間違っているのか、なぜ今の価値観が正しいのかの説明も行わず、一方的に批判している人も多いように思えてなりません。

SNSで誰もが発信できる現代は、情報の共有も批判も簡単に行うことができます。しかしながら”多様性を受け入れる”という考えが叫ばれているわりに、最近まで個人的にはどこかモヤモヤするような気持ちもありました。

そのモヤモヤに突き刺さったのが、たまたま見かけたある記事の一節です。そこで指摘されていた”せっかく社会的に正しいことが広く拡散され、共有される時代なのに、価値観の一方通行が「分断の時代」と言われる現代にさらなる分断を生んでいる”的な部分が自分の中でものすごくしっくりきました。(ソース元が思い出せなくてすいません...)

だからもし、現代のポリティカルコレクトネスによる価値観に則って発言する人が、別の価値観を持っている人に意見を述べる場合は「正しいとされることがなぜ正しいのか? 間違っているとされることがなぜ間違っているのか?」についての説明をもっとしてほしいし、そのための対話を行なってほしいなと思います。

それは、別にオンライン上で万人の目が届くオープンな場所でなくとも構いません。とにかく気持ちの良い正義のみを振りかざすようなことはできれば避けてほしい。いつもこんな風に価値観の違いや認識のズレによる論争を目にする度にそう思ってしまいます。

最近、”分断”は人種、経済、政治など様々な問題に対して指摘されていることですが、そういった問題に関して、"共感"というキーワードの下、特定の価値観を掲げるクローズドなマインドのコミュニティが無数に生まれているように思います。そして、そういったコミュニティがそれぞれの正しさのみを追い求めることで、分断の進行スピードが速められているような気がしてなりません。

 

“正しいはずの価値観”が分断を招いてしまっては本末転倒すぎる。だからこそ、問題になったことが、なぜ間違っているのか? を共有し、理解を深め、間違いが是正されていくような時代にマッチした価値観が適切な形で共有されていくことを強く願います。

クラブが好きな人ひとつとってみても意見が分かれているようなので、個人的な意見を述べてみました。なんとなく、自分が見かけたステイトメントに関する意見には、世代論的なものもあると思いましたし、自己責任でこういった問題が片付けられるのはよくないと思っています。


クラブカルチャーの楽しみ方には、音楽に集中することであったり、はたまたそこでしか出会うことができない人に巡り会うことであったりとそれぞれ利用者が求めるものも違うと思います。

別に出会い目的でクラブにいくのは悪いことではないし、チャラ箱と言われるクラブでのみ、ハラスメントが起こるわけでもありません。大事なことはそういった行為を行わないこととそれが行われた場合は、パーティーを作る側の人間が毅然とした態度で”No”を示すことではないでしょうか?

そして、ステイトメントがなくとも、運営側も利用者もそういった価値観が今、クラブカルチャーには求められていることをこれを機に改めて認識することが問題解決の糸口になると思います。

なお、今回の問題の発端となり、名前が挙がったクラブContactと運営する株式会社グローバルハーツも、この件について、謝罪声明をだし、対応が不十分だった経緯を説明。今後の対策方針の一環としてステイトメントをこれまで以上に目につく場所に掲示することを表明しています。

Top Image via change.org