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宮崎大佑監督作品映画『TOURISM』を観て感じたスマホ、音楽、ファッション文化の話

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日本では最近、”〇〇Pay”が乱立気味ではありますが、今やキャッシュレス決済アプリも充実し、”スマホ”さえあれば、ほぼなんでもできたりする。そんな風に思える時代です。

 

スマホを失うことで人は何を見つけるのかを考えさせられた映画『TOURISM』

実際にはまだ”〇〇Pay”のみでとなると色々厳しかったりするのですが、とにかく移動だけなら銀行口座なりクレジットカードと紐づいたキャッシュレス決済各種があれば、スマホがあればどこでも行ける。つまり、スマホが自分と外の世界を繋げる役割を果たしているわけです。

また旅先で観光がしたいと思えば、Siriなりなんなりに聞けば答えとそこまでのルートは出てくる。ご当地名物料理なんか検索すればどこに何があるのかもすぐわかる。とにかくスマホが旅の可能性を広げてくれる世の中なのですが、それがもし、その旅先でなくなったとしたら? 一気に見知らぬ土地にただ一人佇む異邦人になってしまいます。

もしかしたら旅慣れている人は、その異邦人的な感覚を楽しみたいがためにあえてスマホをオフにしたりする人もいることでしょう。しかしながらそうでない人にとってはそれがまさに生命線。加えて言葉も通じない環境にいきなり投げ出されることになったとしたら…。きっとついさっきまで見ていた世界は、瞬時に良くも悪くも別物に見えるんだろうなぁと。そんなことを考えさせられたのが8/3まで渋谷・ユーロスペースで上映されていた宮崎大佑監督による映画『TOURISM』です。

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私が宮崎監督のことを知ったのは、昨年公開されたニューエイジブラックムービー系のヒップホップ映画『キックス』の試写会。その時に宮崎監督と三宅唱監督によるトークショーがあって、宮崎監督は『キックス』で多用される”スローモーション”シーンについて、最近のヒップホップのMVのトレンドを引き合いに出されながら語っておられ、なるほどなぁ〜と思わされました。その後、ご自身もヒップホップをテーマにした『大和(カリフォルニア)』という作品を手がけられていることを知り、監督に興味を持ちました。

ただ『大和(カリフォルニア)』はまだ鑑賞できていないままなのですが、今回、新作の『TOURISM』が劇場公開されているということで8/2に上映していたユーロスペースにて無事鑑賞。今回は『TOURISM』のここがおもしろいと思った部分について書いてみたいと思います。

ここからは多少のネタバレが含まれるため、まだ未鑑賞の方はご容赦を。

 

スマホがつなげる地元と見知らぬ土地

『TOURISM』は、日本の地方都市でアルバイトをしながら生活するニーナとスーの2人の若い女性がメインキャラクター。冒頭では彼女たちに加えて、ルームシェアをする男性も登場するのですが、がひょんなことから女子2人で海外旅行にでかけるというロードトリップ系の映画です。

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”スマホ”から通知された”世界中どこでもペアで旅行できる券”の当選でストーリーがゆるやかに動きだす『TOURISM』。しかし、彼女たちは行き先を決めるのもスマホ便り。いくつかの候補の国が挙がりつつも最終的にはシンガポールが旅先に落ち着きます。

メインキャラクターの2人は、ファンションだけでなくマインドもゆるめという典型的な現代の地方都市に住む若者。特に主人公のニーナは、地元に特別な愛着があるわけでもなく、いつかは一度は出てみたいと思うもそのために何か特別に努力したりというようなことはなく、ただアルバイトをしながら過ごすという性格の持ち主です。

2人はシンガポールで観光するも基本的にSiri便りで主体性はなく、ただブラブラと街を歩くだけ。印象的だったのは、地方都市、田舎特有の有り余る土地を活用した”巨大ショッピングモール”をシンガポールという外国でも引きずっているところ。

現地のショッピングモールで2人が口にした「(地元の)イオンとあんまり変わらなくない?」というその言葉からは”地元”と”見知らぬ土地”という物理的な境界線を全く感じていない様子が伝わってきます。

その後、2人はインスタライブなのかな? スマホを通した動画配信を市場のフードコートみたいなところで行うのですが、その段階でもまだ彼女たちの日常は変わらぬまま。スマホのレンズを通して”地元”とつながり続けている様子が描かれます。彼女たちにとって地元ではないシンガポールもスマホがある限りはあくまで感覚的には地元の延長だということが映画の前半では描かれます。

 

スマホが錯覚させる”地元の延長のような旅先”の消失

物語が一気に加速するのは、ニーナがスマホをなくしてから。さらにスーと離れ離れになり、一気に地元と感覚の上では地続きだった”シンガポール”が言葉も通じない見知らぬ土地に姿を変えていきます。その時のニーナの不安をブレる映像がよく表現していたのが印象的でした。

期せずして始まった本当の意味での”旅行”。見知らぬ土地でただ1人きりになったニーナは、その後、親切な現地女性に出会い、滞在先までの道案内を頼むも、結果的には女性の勘違い?によって全く見当違いの場所に連れて行かれます。その後もブラブラと街を彷徨うように歩くニーナ。映画の序盤では、シェアハウスの同居人たちが、幽霊を日常的に見ているということが語られますが、見知らぬ街をゆらゆらと歩くニーナの姿はあたかも亡霊のようでもあります。

その後、マレー系やインド系などのコミュニティに迷い込み、人種、文化、言語など自分との生活圏とは明らかに違う、”地元ではない”、ローカルな”シンガポール”に足を踏み入れることで、自分がここでは異邦人なんだとより明確に認識していくニーナ。ひたすら街を彷徨い、ついには疲れ果てて座り込んだ先に、出会った現地の若者とその家族。言葉が通じない中でなんとなく感覚で理解しながら現地の生活様式に触れる様子や、現地の若者が集うアンダーグラウンドなライブスペースで時間を過ごす彼女からは、スマホが錯覚させる”地元の延長のような旅先”はもうどこにもないことが伝わってきます。

確かにスマホされあれば、世の中の様々な情報を拾い集めることができ、わざわざ現地に行かなくとも情報としてなら世界中のどんな場所でもアクセスすることができます。しかし、その感覚を引きずったまま、現地に出向いたとしてもそれは”旅”だといえるのか? 旅とはわざわざ出かけて、そこにしかないものを体験することに意義があるのではないのか? ということを問われているように思えました。

実際、近年は”スマホ”至上主義は加速しているし、利便性の面を含め、その中で個人の物語が完結することが良しとされているような風潮があります。ネットの中に無数に転がる情報を精査していくことはもしかしたら”旅”なのかもしれませんが、それを旅とするなら、旅はそれが終わった時点で完了してしまい、現地に出向くこと自体は確認作業でしかないのかも。そんなことが頭によぎりました。

『TOURISM』を見ていると、旅をすることについての意味を考えさせられます。スマホがあれば、世界中の情報に瞬時にアクセスできる。そのため、世界は拡張しているように思えるけど、あくまでそれは表層的なところで、その下にはテクノロジーでは知り得ない生身の文化が存在する。もしかしたら、旅とはそれを発券しにいく作業であり、スマホ以前の時代にはそれが当たり前だったのかなぁと。

スマホを置いて考えるということ

また映画の冒頭で旅先を決める際に、”ネットの情報には嘘が多いからね”的な同居人のセリフがあるのですが、それも本作ではキーワードのひとつだと思いました。スマホが入口になるSNS世界の中では、今や出どころ不明のフェイクニュースが跋扈。さらにそれによる扇動の結果、重要な政治的決定までも行われたりと現実がスマホに侵食されているような状況も生み出されているます。

情報を収集するために使うスマホが、いつのまにか不確かなソースによる情報をも与えてくる。それが様々な分断を生み出す結果につながる昨今。またソースは確かであっても情報の捉え方、行間を読むスキルのなさによって話がおかしな方向に進んでしまう。そんなことが現在、日常茶飯事になっているのがSNSの世界。

その観点でいえば、スマホは私たちに情報とともに錯覚を与える存在であり、不確かかもしれないけれど、そこから摂取する情報が生み出す様々な”共感”は、どこかで誰かとゆるく”つながっている”という感覚やある種の居場所を実感させてくれます。
それはある種麻薬のようで一度ハマるとなかなか抜け出せません。

だから『TOURISM』のスマホを置いて旅の本質に気づきましょうという構図は、今のネット社会全体にも置き換え可能で、本質に気づくということは、情報を精査し、確かめる作業に加えて、体験して、そこから次にどうするかまでを考えることを指すのではないかと思いました。

 

スマホが担保する自分の居場所とその分断によって生まれる”異邦人が旅する世界”

次にスマホの存在が『TOURISM』を今の時代を切り取ったロードトリップ映画にしているという話を。

旅先でも観光地をSiriが日本語で教えてくれる、スマホから流れてくるトラップにあわせて、絶妙にゆるいダンスを踊るなど、まるで地元にいる時と同じように時間を過ごしていたニーナ。しかしながら、彼女にとっての”日常”の象徴たるスマホがなくなることで、まるでソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』のように一気に自分が異邦人になってしまいます。

『ロスト・イン・トランスレーション』は、言葉や文化の違いを外国人の視点から見た東京を描くことで、”異邦人が旅する世界”を表現したロードトリップ映画だったと思います。一方で『TOURISM』は、スマホが担保する自分の居場所とそこからの分断を描くことで”異邦人が旅する世界”を表現したロードトリップ映画だと思いました。その感覚はスマホが生活の中心になっている現代ならではのもので、きっと2000年代にはなかったはず。そういう意味で世界中の人々がスマホでつながる2010年代後期の生活様式とそこから生まれるカルチャーをよく表現した作品ではないかと思います。

 

『TOURISM』にみる音楽やファッションのトレンド

ちなみに主人公のニーナを演じた遠藤新菜さんは、JP THE WAVYの最新MV「Just A Lil Bit」では監督もされているそうで、音楽シーンとも関わりが深い女優さんのようです。また音楽もヒップホップシーンの人気プロデューサー、LIl’Yukichiが関わっていたり、現地のバンドなんでしょうかね? 劇中、アヴァンギャルド系のバンドがパフォーマンスするシーンがあるのですが、そのシーンで聴こえる音がなんとも引き込まれるような音で心地よく、音楽好きにも大満足な映画だと思います。

そのバンドの音楽が気になったので、ディグっているとbandcampにあるというSNS投稿を発見。

 早速bandcampページをチェックしてみたところ、いくつかのリリース作品があり、ノイズ色の強い『The Circolusion Will Be Serialized』と『Live at 042 UNION』というザラついたオルタナロック系とアシッドフォークみたいな曲が収録されたライブ音源集が特に良いなと思いました。

また先述の2人がトラップにあわせていきなり踊り出すシーンが、鑑賞中にフランス映画のワンシーンみたいだなと思っていたのですが、レビューサイトを見ていたら、あれは監督自身がヌーヴェルヴァーグのオマージュだと語っておられたそうです。そこにトラップを音楽として持ってくるところはなんとも今っぽいセンスだなと。

 

さらにニーナの一見すると地方都市のマイルドヤンキー的なダボ着も、今の時代、一概にそうとも言えず、実は一周回って先端のユースファッションだったりするところも興味深いですね(このあたりは渋谷、原宿のような若者の街を歩いていたらなんとなくご理解していただけるはず)。

余談ですが今、ロンドンのイケてる音楽コレクティヴ「NUXXE」を主宰するフランス人ラッパー、COUCOU CHLOEが「GECKO」という曲のMVで着用している衣装も、若者以外に言わせるとどことなくマイルドヤンキー風に見えます。

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このあたりの着こなしのセンスが今のトレンドだったりするため、そこを知っているか知っていないかで映画のファッションセンスに対する評価も変わってくるのではないでしょうか?

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映像に関してもiPhone、タブレットで撮影した映像が取り入れられており、このあたりは最近のMVのトレンドにもリンクしているし、この世代を描くなら欠かせない演出のように思えます。

2回目からより面白くなるという声も

なお、『TOURISM』は、東京では8/30からUP LINK吉祥寺で再び上映されることが決定しています。スマホを失ったことで始まったニーナの旅がどのように結末を迎えるのか気になった方は是非劇場に足を運んでみてください。

すでに鑑賞した方の間では2回目からより面白くなるというような声が上がっているので、私ももう1度鑑賞してみたいと思います。以上、お後がよろしいようで。

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